「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
  主は私を緑の牧場に付させ、いこいの水のほとりに伴われます。
  主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます」 (詩篇23篇1~3)
  詩篇のこのみ言葉に触れるとき、緑豊かな阿蘇の風景がいつも浮かびます。教会のあるこの場所に家族と共に初めてきたのは約40年前のことでした。当時、周りに建物も何もなく阿蘇の山々がくっきりと一望できました。暫くすると次々に住宅が建ち並び、町が出来ていきました。あれから約30年経ち、再び私たち(夫婦)は導かれ、10年近く阿蘇を望むこの町で過ごしました。その間ゆるされる限り阿蘇へ出かけて行って大自然の恵みに与りました。その度、神さまがお造りになった世界の素晴らしさに出会い感動を覚えました。
  教会生活においても神さまは、豊かな恵みに与らせてくださいました。大好きなこの場所から遠く離れるのは寂しいです。しかし、この世界のどこにいても神さまの恵みは溢れ、そのところどころでわたしたちの必要を満たしてくださると信じます。主が共にいてくださるところは、どこも神の国です。ダビデの羊飼いであった主は、私たちの羊飼いでもあります。行く先々にどんなことが待ち受けているかわかりませんが、主が良きに導いてくださらないはずはありません。先立って導いてくださる主がいますから、ただ、主のみことばに従ってついて行けばいいのです。 このような主の平安を得ているわたしたちは、なんという幸いな者でしょうか。
  主は、イスラエルの民を「宝の民」と言ってくださり、私たちを特別な存在として扱ってくださると言っておられます。それは私たちが素晴らしいからではなく、弱く小さな私たちをあえて選んでくださっているということです。イエス・キリストは私たちを救うために十字架上で血を流し、私たちのために命を捨ててくださいました。それによって私たちは本当の意味で生かされて生きるのです。菊池シオン教会の上に主の祝福とお導きがありますように、いつもお祈りしています。(矢野由美記)